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金町浄水場の水から乳児が飲む規制値の2倍を超える放射性ヨウ素が検出された。
乳児が直接口にすることは控えるよう呼び掛けがあり、水の買い占めにも走らないよう呼び掛けがあった。

何時間か前に「水の買い占めが加速しなければいいなあ」と思ったところだったのです。

当たったね!!
いや、嬉しくないですけどね。

「代わりになる飲み水が確保できないなら飲んでも差し支えない」

もごっとした言い回しだと感じるのは気のせいですか。

「飲んでも差し支えない」けど「代わりになる飲み水が確保」できるならその方がよいのですか。

今までみたいに「摂取しても問題ない」とは言い切らないのですか。
問題ないけれど控えた方がいいのですか。


これまで冷静に行動してきたおとなたちも、こう言われたらさすがにぎくっとするかもしれない。

私がもし親だったらそうなります。
もし保育園とか幼稚園の先生だったらそうなります。

せめてこどもの分は、そう思ってスーパーへ行ってしまうかもしれない。

「もっとちゃんと言ってくれよ」と文句を言いたいわけではない。
むしろ、影響が否定できないことを隠さず発表してくださったことはありがたいと思います。

今回ばかりは、もし赤ちゃんのいるお母さんとか乳児保育をする保育園の方とかがお水を買っても、これまでの買い占めと同じようには捉えられないのではないだろうか。

たまたま住んでいる場所にお水が売っていなくて不安になるお母さんと、そんなお母さんを見て不安になるこどもさんがいなければいいのですが。

母子手帳の提示があれば飲料水を優先販売する、とかそういう策が一緒にあったらいいのに。
緊急で止めなければいけないわけではないのでしょう。なら、たとえば東京都とちょこっと打ち合わせてから発表しても遅くなかったのでは。

我が墨田区にある備蓄倉庫から各区役所等に飲料水が割り振られるそうだ。
そこから各家庭にどう届けるのかは調整中だそうだ。
いろんな手続きが必要なのかもしれないけど、こんな時だから多少スキップしたって構わないじゃない…駄目なのかな。かもな。うーむ。


しかしとりあえず、きょうだい揃って成人している我が家はいつも通り蛇口をひねろう。

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アルバムを用意する。

とても小さな頃の写真。
状況はよく覚えていない。誰と一緒だったのかも。

たとえば、よく見た子供用ビニールプールのなかですっぽんぽんではしゃいでいたとして。
うわあ恥ずかしい、見られない!
となるかなあ。

小学生か中学生頃の写真。
たとえば、運動会とか文化祭とかでなかなか悪のりな変顔で写っていたとして。
ちょっともう封印しとこう。あわわ。
と果たしてなるのかな。

たぶんならないんじゃないだろうか。
こんなこともあったなあ、ばかっぽいけどね。
こういう感想になりそう。


では。割と最近の写真を準備する。

大学生というのは集まって楽しくなると収拾のつかなくなる人びとで、やっぱり色々な記録が残る。

たとえば完全に何かに負けている、とか
顔の色がおかしい、とか
スカートだけど絶対男だろう、とか

まあいろいろ。

そこに写っているのがまさに自分自身だったら?

たぶん間髪いれず写真をむしりとるか焼き捨てたい衝動に駆ら…言い過ぎた。
そのアルバムをばったんと閉じたくなるくらいにはなるのでは。

すくなくともわたしはなる。
そんな写真ないけど。
あ、いや、あるか。あるね。


問題は、なんでそうなるんだ、ということ。
写真に限らず、出来事によって感じかたに差があるのはなぜ。

それは、「いま」から見て、その出来事に実感が伴っているものとそうでないものがあるから。

実感のない思い出と、実感のある思い出がある、のではないかということ。

このように考えてみたわけだ。



まとまらなーい。はわわ。
携帯からじゃこの文字数が限界だ…親指疲れた。

なんでこんなこと考えるのかって?

たった数文字のセリフやら言葉やら語尾について何十分と考える作業をしてきてるから、ちょっと気にかかると深追いしたくなるんだ。

文学部って何やってるかわかんない、とよく言われます。
やってみますか。
たとえば、今日の文章を分析するとしたら。


本文1行目、及び中間部は説明的口調である。
本文3行目、特に写真の具体例が示される部分は明らかに口語表現と言える。

つまり、語りのなかに客観的視点と、筆者(=えんです)の主観的な視点が混在している。

ではそうした語り方はどのような効果を与えるか…云々

わたしが力を入れたのはこういう分析。
こんな感じのことを延々考えて作品を分析するんです。答えなんてどこにもないですよ。正解もないに等しいのかも。
でもこれを何回も何回も繰り返す。

変わってるでしょ。

なんの話だっけ。
ああそうだ、まだ続きます。

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しまった、と思った。
これは今の状況にとってふさわしい音楽ではなかった。
すなおに、最初の直感を信じ、ジョアン・ジルベルトをかけるべきだったのだ。

自分の演奏した音が入ったCDなどではなく。


こんな風に書くとちょっと村上春樹氏風ではないですか!
…やってみたかったんです。それだけです。すみません。

「象の消滅」を読んでいた。ホテルに行く少し手前くらい。
何か音楽でもかけようと思って、最初はボサノヴァにするつもりだった。CDのケースを開けるところまでしたのだもの。

けれどふいに、冬の演奏会のCDをほっぽっていたことを思い出してしまった。
どういうわけか聞いてみようという気分にならなかったから、持ってきたトートバッグの中にいれたまま数週間。

セットして、再生ボタンを押して、もう一度ページを開いて、そして。


もう、象のいた公園に入り込むことができなくなった。
意識が音に取られてしまう。

何度か試してみたけれどやっぱり駄目。
あーあ、降参だ。
耳に主役を譲ることにしよう。


明らかな自分の音を発見。全体の中でちょっと浮き出て聴こえる。
なぜわかるかというと、間の取り方が自分のものだから。
間とか、力み具合とか、ふるえかたとかを頼りに自分の音を探せるんです。


集団でやってて、個人の音がはっきりわかるって果たしていいことだろうかね。

っていう話をとあるパートトップとしたことがある。

あんまりよくはないかもね。

という結論だった気がする。

アンサンブルならともかくオーケストラだもんねえ、と。

結局そこはうまくいかなかったんだなあ。

聴いていると周りの景色を思い出した。
教室のなか、みんなの表情、指の動き。

無意識に指が動く。ソロ前で両手の指先がつうっと冷たくなる、お腹がちくりとする。
あらら、苦笑い。
体はまだ覚えているらしい。

聴きながら、思い出しながら、ああそうか、と。

もう二度とこの時間は返ってこないし、この景色を目にすることは叶わない。
だんだんと実感のない思い出になっていく。

それを自覚したくなかったのかもしれない。自覚スイッチを押したくないから聴かない、みたいな。
たぶんそうだ。なんてわかりにくい。


実感のない思い出、ね。これについてもう少し考えてみようかな。
また日を改めて書きます。

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性別:
女性
誕生日:
1988/04/30
職業:
学生
趣味:
さんぽ/ちょっとした料理/
自己紹介:
幼稚園の先生と保育士を目指しています。
スカイツリーまで徒歩圏内に在住、地元で塾講師もやってます。
アップする絵はスケッチブックにえんぴつで→見ながらペンタブとアズペインター2で作成しています
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